1. コモド島(インドネシア)
ドラゴンが生きている島
世界最大のト力ゲ、コモドドラゴンを見に出かけたのは昨年12月のことだ。ドラゴンはコモド島と付近3島だけに生息し、サルやシ力を食べ、強力なアゴと爪、尾 を武器とするという(CD-FOM 平凡社世界大百科事典)。
日本旅行作家協会(斎藤茂太会長)の探検研究会では数年前に大ト力ゲ探検を企画したが、コモド島には観光船が就航し餌付けもしていて探検の名に値しないと異論が出て、座長の西丸震也さんが中止の断を下した。
コモド島に近づけば雲は晴れて
コモド島は赤道を越えた南半球にあった。南半球の諸島は本当は香料群島ではないのだが、バリ島に本社を置く船会社はコモド島を含めたインドネシア東部航路を「スパイス・アイランド・クルーズ」 と呼んでいる。なんと響きのいい言葉だろう。探検か観光かはどうでも、私と妻はそのクルーズに参加した。
声を潜めてジャングルを行けば
バリ島ベノア港を出航して三日目の早朝、コモド島口ーリャン湾に入港した。雨雲が垂れこめていたが近付くと青空が見えた。午前 六時半、船尾から救命具を着けて ボートに分乗、波打ち際からザブザブ歩いて、素足で上陸した。
国立公園レンジャー隊員は大ト力ゲの習性を熟知していて、サンマタのような棒を持っている。まずグループの人数を確認。隊員が前後に付き添ってジャングルに入った。
第一陣は日本人、第二陣は欧米人、昨夜、船上のオリエンテーリングで、大きな声を立てず、隊列から離れないように、香水もタバコも派手な色の服もだめ、と注意があった。ジャングルの獲木の小枝に鮮やかな色彩の陸の巻貝が幾つもよじ登っていた。
スイス人観光客が行方不明にな ったのは、1974年の話た。帽子と力メラだけ見つかり、ト力ゲに食べられたと推定されている。 「ビーサイレント!」の標識を見て粛々とジャングルを行くうち、隊員がま新しい翼を発見、一瞬緊張が走る。

陸上の巻貝は色鮮やか
無言で!との標識があり


やがてオオトカゲが出現。 欧米人組の前を走る
歩くこと約30分、観察小屋に着いた。途端に、待望の大ト力ゲが今来た道に出現。腹がプックリぶくれている。なんと第二陣の欧米人組がそのト力ゲに向かって歩いてくる。あの腹は野鹿か何か食べたばかりたから大丈夫とわが隊のレンジャーが説明するが、欧米人は保護棚の中に早足で入ってきた。
観察小屋の隣の低地は水場である。ト力ゲはそこに集まっていた。小屋からよく見えるが動かない。今は餌つけをやめ、餌になる動物を自然の状態で生かしているそうだ。たっぷり観察して帰路につく。帰路はト力ゲの巣のそばを通る。崖に横穴がある。彼等は頭隠して尻隠さず、暗くなると巣穴に頭だけ突っ込んで眠るのだという。

レンジャー隊員と記念撮影の観光客
午前9時過ぎに帰船し、水着になってシャトルボートに乗りピンクビーチに行く。少数の漁民の他は千数百匹の大トカゲが住んでいるだけの島だ。ピンクの砂と澄んだ海は例えようもない。砂浜から 5メートル先は珊瑚の群落だ。シュノーケルで12月の海に浮かび珊瑚礁の熱帯魚を指でつついてみた。泳ぎ疲れて腹が減る。タイミングよく船員がケータリングランチを整えてくれる。
船員が整えるケータリングランチ
島陰を縫って小舟が行く
国立公園は自然保護区として厳しく管理されて、持ち込んだものは全て持ち帰ること、一木一草も持ち出さないことが求められた。 5000トンの船に60室のデッキ付きキャビン。夜毎クルーが出演するショー。型通り船長招待晩餐会もある4泊5日の船旅に、ちよっぴり、アドベンチャーの緊張があった。
オセアニック・オデッセイ号。 バハマ船籍。 5,218t、全長103m、乗客定員120人、セミスィート60船室のものクラス。 船尾からボートに分乗して上陸

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